地動説の歴史について3部に分けて解説します。第1部では、古代の天動説と地動説とニコラウス・コペルニクスの地動説について解説します。第2部では、ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイの地動説について解説します。第3部では、ヨハネス・ケプラーとアイザック・ニュートンの地動説について解説します。
古代の天動説と地動説
天動説(geocentric theory)とは、地球は宇宙の中心に静止していて、太陽、月などの天体は地球の周りを回っているという考え方です。地動説(heliocentric theory)とは、地球を含む全ての惑星は太陽の周りを回っているという考え方です。古代ギリシアでは天動説が一般的でした。古代ギリシアの哲学者ピタゴラス(紀元前570年~495年頃)は「万物の根源は数である」と考えました。そして、ピタゴラスは音も数によって調和していると唱えました。そのため、天体も天空を移動するとき、それぞれの音を立てながら、数によって調和した音楽(ハーモニー)を奏でていると考えました。これを「天空の音楽」と呼びました。

また、ピタゴラスは哲学、数学、天文学、音楽など多彩な才能を持っていました。そして、ピタゴラスは、宗教的な団体を創設して、多くの弟子たちとともに数学的思考に基づいて学問を探究していました。このピタゴラス教団は、宇宙について、球状の地球が宇宙の中心にあり、その外側には天体が円状に配置されて同じ速さで周回しているため、調和が保たれていると考えました。つまり、天動説を唱えました。しかし、教団での活動は秘密主義であったため、そこでの知識が外に出ることはありませんでした。

ピタゴラスといえば、中学校の数学で習うピタゴラスの定理(三平方の定理)が有名だよね!すなわち、直角三角形の直角をはさむ2辺の長さをaとb、斜辺の長さをcとするとき、直角をはさむ2辺でそれぞれ作られる正方形の面積の和は、斜辺で作られる正方形の面積と同じになるんだ!だから、a²+b²=c²の公式が成り立つんだよ!したがって、3辺の長さ、a、b、c のうち2辺の長さが分かれば、残りの1辺の長さを求めることができるだ!たとえば、直角をはさむ高さの辺が3㎝、底辺が4㎝の直角三角形の斜辺は、3²+4²=9+16=25、答えは5㎝になるよね!
そのような教団の活動の中で、長老の教徒であったフィロラオス(紀元前470年~385年頃)が、お金に困ったため、掟を破ってそこでの知識を公にしてしまいました。そして、フィロラオスは奴隷の身となって売られていく中で、偶然にも古代ギリシアの哲学者ソクラテス(紀元前469年~399年頃)と会うことになりました。ソクラテスは、フィロラオスから天文学に関する考えを聞き取りました。それは次のような考えでした。宇宙は数学的な法則に従っているため、調和が保たれている。そして、10が完全な数であるため、宇宙の中心には火(中心火)があって、その周りを天体(太陽、地球、月、火星、水星、木星、金星、土星、反地球)が回転している。
これには、地球などの認識できる天体が8個ありますが、それに加えて中心火と中心火の裏側には反地球あると考えました。つまり、認識できない2個の天体を合わせて10個になると考えました。これは、太陽中心説ではないので、地動説とは言えませんが、天動説とは異なり、地球が運動しているという考え方の始まりでした。しかし、ソクラテスの弟子であった古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年~347年頃)は、宇宙の中心には球状の地球があって、その外側には太陽や月などの天体がある広大な球面が回転していると考えました。

プラトンの有名な弟子であった古代ギリシアの哲学者アリストテレス(紀元前384年~322年頃)は、歴史上最も有名な哲学者の1人で、「万学の祖」と呼ばれ、多くの学問の基礎を築きました。そして、その影響は現代まで及んでいます。アリストテレスも、宇宙は球面でその中心に地球があると考え、地球を中心として月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星が順に同心円状で回転していると考えました。つまり、高名なアリストテレスも、師であったプラトンの宇宙観を引き継いで天動説を唱えていました。

ウィキペディアから引用
その後、古代ギリシアの天文学者、数学者であったアリスタルコス(紀元前310年~230年頃)は、フィロラオスが唱えた中心火を太陽に置き換えて、太陽を宇宙の中心として、その外側に太陽を周回している惑星を配置しました。そして、地球は自転しながら太陽の周りを回っていると説明しました。これが歴史上最初の太陽を中心とする地動説でした。しかし、アレクサンドリアの天文学者、数学者のプトレマイオス(85年~168年頃)は、天文学の集大成であった「アルマゲスト」という著書において、アリストテレスの天動説を引き継ぎながらも、その問題点を解決する優れた理論で宇宙観を説明しました。
すなわち、アリストテレスの天動説では、地球から見える惑星が逆の方向に移動するように見える現象(逆行運動)を説明できませんでした。たとえば、火星は、外惑星なので、地球よりも太陽から遠い軌道を公転しているため、地球よりも遅い速度で公転しています。その結果、地球が公転しながら火星を通過するとき、火星が逆の方向に移動しているように見えます。高速で移動する電車の窓から、隣接する道路を同じ方向に電車よりも遅く走る車を見ると、走る車がバックしているように見えますが、これと同じ現象です。プトレマイオスは、実際に惑星が逆に移動していると考えたので、この逆の動きを説明できる宇宙の姿を描きました。

ウィキペディアから引用
すなわち、地球を中心とする宇宙ではその外周で惑星が2つの円運動をしていると考えました。1つ目は地球を取り囲む大きい円を描きました。2つ目は大きい円の円周(軌道)上を中心とする小さい円を描きました。そして、小さい円は大きい円の円周(軌道)上を回転していると考えました。小さい円を「周転円」と呼び、大きい円を「誘導円(離心円)」と呼びました。そして、惑星はこの周転円の円周(軌道)上を回転していると考えました。この複合的な二重回転構造の宇宙では、小さい円と惑星とが同じ方向に回転するとき、惑星は半周だけ小さい円とは逆の方向に回転するときがあります。
プトレマイオスは、惑星のこの動きを逆行運動として説明しました。また、惑星は、わずかに楕円を描く軌道上を速度を変えながら公転しています。しかし、当時は、宇宙(神々の住む天界)は、調和が保たれた美しい世界であるため、惑星は完全な円(真円)を描いて一定速度で移動していると考えられていました。そのため、予測する惑星の運動と観測する惑星の運動にはズレがありました。これを解決するため、プトレマイオスは、大きい円(離心円)の中心は地球ではなく、そこから少しズレた位置(離心点)にあると説明しました。さらに、地球を挟んで離心点の反対側には、等距離でエカントという点があると説明しました。
そして、プトレマイオスは、そのエカントから観測すると、離心円の円周(軌道)上にある周転円と周転円の円周(軌道)上にある惑星が、一定の速度で移動しているのが分かると説明しました。すなわち、プトレマイオスは、惑星は真円の軌道上を一定の速度で移動しているが、これを地球から観測すると、惑星の移動速度が変化しているように見えるため、予測と観測にズレが生じると説明しました。このようにして、アリストテレスとプトレマイオスによって確立された天動説は、その後、1543年にコペルニクスが太陽中心説(地動説)を提唱するまで、西洋における定説として信じられていました。
ニコラウス・コペルニクスの地動説
天文学者のニコラウス・コペルニクス(1473年~1543年)は、現ポーランドのトルンで生まれました。早くに父が亡くなったため、伯父の庇護を受けてクラクフ大学では神学を学びました。その後、イタリアのボローニャ大学などで数学、医学、天文学などを学びました。帰国後は聖職者と医者を務めていましたが、天文学の観測と研究を長きにわたり続けました。コペルニクスの時代は天動説が常識でした。そして、中世ヨーロッパでは、キリスト教の神学的かつ哲学的な体系を図ったスコラ哲学が盛んでした。
その特徴は、キリスト教の教えとアリストテレス哲学などの古代ギリシアの知識を統合して理論的に体系化したことでした。そのため、プトレマイオスの天動説は、聖書に描かれている地球中心の宇宙観を理論的に裏付けたものとして、ローマカトリック教会が公認する天動説にもなっていました。しかし、コペルニクスは、天体観測の結果、およそ1,400年の間信じられてきたプトレマイオスの天動説について疑問を抱きました。それは、神が完璧な宇宙を創られたのであれば、部屋を照らす灯りのように宇宙の中心には太陽を置くのが理にかなっているという考え方から始まりました。

そして、観測を重ねるうちに、プトレマイオスの天動説では説明できない惑星があることに気が付きました。そのため、コペルニクスは、太陽が宇宙の中心にあって、地球は他の惑星と同じように太陽の周りを公転しているという太陽中心説を唱えました。つまり、太陽中心説の方が観測結果に合致することを発見しました。そして、太陽が動いて見えるのは、地球が自転しているためであると考えました。さらに、三角法を用いて惑星の位置を測定したり、惑星の運動を計算してそれを予測したりしました。ただし、惑星の軌道を真円と考えて計算していたため、実際に測定した値とはズレがありました。
それでも、コペルニクスは、惑星は太陽の周りを円軌道で回転していること、そして、地球は、太陽の周りを1年に1回公転していること、1日に1回自転していることを唱えました。このようなコペルニクスの地動説は、「天球の回転について」という著書によって公表されました。本書は1543年に出版されましたが、出版を任された者は、教会からの弾圧を恐れたため、その序文には、地球の運動を説明したのは、惑星の運動を説明するための方策で、地球の運動を提唱するものではないという内容を書き加えました。






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