ブルックリン・ドジャースになる前の足跡
1883年、ドジャースの前身となる野球チームが、ニューヨーク市ブルックリン区(当時はブルックリン市)を本拠地として創設されました。1884年、チームは、アメリカン・アソシエーションに加盟しました。このとき、チーム名は「ブルックリン・アトランティックス」でした。
1890年、アトランティックスは、アメリカン・アソシエーションからナショナル・リーグへ移籍しました。そして、チーム名を「ブルックリン・ブライドグルームス」に変更しました。また、ナショナル・リーグで優勝を果たしました。このチームが次にリーグ優勝するは1899年と1900年でした。
1913年、球場は、ワシントン・パークからエベッツ・フィールドに移転されました。1914年には、チーム名が「ブルックリン・ロビンズ」に変更されました。そして、チームは1916年と1920年にリーグ優勝を果たしました。
ロサンゼルス・ドジャースになる前の足跡
1932年には、チーム名は「ブルックリン・ドジャース」になりました。しかし、次にリーグ優勝を果たすのは1941年でした。
1947年に、初の黒人メジャーリーガーとして、ジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースからデビューしました。そして、チームはリーグ優勝を果たし、ロビンソン選手はこの年に設けられた新人王を受賞しました。
その後、ドジャースは、1949年、1952年、1953年にリーグ優勝を果たし、強いチームとして有名になりました。しかし、ワールドシリーズにおいては、ドジャースは、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースに破れ続けました。
1955年のワールドシリーズで、ついにドジャースはヤンキースを破り、ワールドチャンピオンになりました。1956年は、リーグ優勝にとどまりました。また、同年に、日本を訪問して日米親善試合を行いました。
ロサンゼルス・ドジャースの足跡
1958年、ドジャースはロサンゼルスへ移転し、ロサンゼルス・ドジャースになりました。そして、ドジャース・スタジアムが完成するまでの間は、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムを本拠地としていました。
1959年には、移転後、初のリーグ優勝を果たしました。そして、ワールドシリーズでは、シカゴ・ホワイトソックスと対戦して優勝を果たしました。1962年には現在のドジャース・スタジアムが完成しました。ドジャースは、ロサンゼルスへ移転後、1959年、1963年、1965年、1981年、1988年に、ワールドシリーズを制覇しました。
1995年、ドジャースでプレーした最初の日本人選手として、野茂英雄(投手)が入団しました。野茂選手は、「トルネード投法」による剛速球とフォークボールを武器にして、その年には、13勝6敗の成績で、リーグ最多の236奪三振を奪いました。そして、新人王のタイトルも獲得しました。その後も、野茂選手は、メジャーリーグにおいてトルネード旋風を巻き起こして、人気を博しました。
2017年に、ドジャースは、リーグ優勝を果たしましたが、ワールドシリーズではヒューストン・アストロズに破れ、敗退となりました。2018年、ドジャースは、2年連続でリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズ出場を決めました。しかし、対戦相手のボストン・レッドソックスがワールドチャンピオンになりました。
2020年は、新型コロナウイルスのため、レギュラーシーズンの試合数が60試合に短縮されました。ドジャースは、レギュラーシーズンにおいてMLBの30チームの中で1位の勝率を達成しました。そして、ドジャースは、ワールドシリーズに進出して、対戦相手のタンパベイ・レイズを破り、32年ぶりに、7度目のワールドチャンピオンになりました。
2023年、ドジャースは、ナショナル・リーグ西地区で優勝しましたが、ディビジョンシリーズでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに破れました。
同年12月、大谷翔平(投手兼打者)と山本由伸(投手)が、この伝統を誇る、名門チームであるドジャースと契約しました。
日本が誇るMLBスーパースター大谷選手
と日本の最強ピッチャー山本選手が活躍する
のを大いに期待しています!
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