地球は回っているという【地動説】の歴史についてわかりやすく解説(第3部)!

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地動説の歴史について3部に分けて解説します。第1部では、古代の天動説と地動説とニコラウス・コペルニクスの地動説について解説します。第2部では、ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイの地動説について解説します。第3部では、ヨハネス・ケプラーとアイザック・ニュートンの地動説について解説します。

ヨハネス・ケプラーの地動説

天文学者のヨハネス・ケプラー(1571年~1630年)は、1571年、南ドイツのシュトゥットガルトの西側にあるヴァイル・デア・シュタットで生まれました。住民の多くはカトリックでしたが、ケプラー家はプロテスタントでした。そして、父は傭兵でした。ケプラーは、神学校で学んだ後、牧師になるため、チュービンゲン大学の神学部に進学しました。しかし、そこで天文学に対する興味を深めてコペルニクスの地動説を支持するようになりました。1594年、ケプラーは、牧師にはならず、グラーツ(現オーストリア)の神学校で数学と天文学の教師になりました。

また、占星術の予報を含めた占星歴の作成にも携わりました。1596年、ケプラーは、「宇宙の神秘」という書物を出版しました。本書では、太陽を中心とした各惑星の軌道の間に正多面体(すべての面が同じ大きさと形の図形によって作られた立体)を当てはめることによって、惑星軌道の大きさが決定されるという幾何学的な宇宙モデルを提唱しました。この著書はデンマークの天文学者ティコ・ブラーエの関心を引きました。1600年、ケプラーはブラーエの招きに応じでその助手になりました。しかし、1601年、ブラーエが亡くなりました。

ヨハネス・ケプラー

ケプラーが25歳のとき、処女作の「宇宙の神秘」を著したんだよ!その中で、ケプラーは、太陽を中心として惑星が6つ(当時は知られていた惑星は水星、金星、地球、火星、木星、土星)しかないこと、そして、正多面体(正四面体、正六面体(立方体)、正八面体、正十二面体、正二十面体)が5つであることに着目して、それぞれの惑星の軌道半径の比が5つの正多面体の外接球(正多面体を覆う球で、球は正多面体の各頂点に接する)と内接球(正多面体の内側に入る球で、球は正多面体の各面に接する)の半径の比と関係していると説明したんだ!

そして、6つの惑星の間(空間)に5つの正多面体を入れ子のように当てはめた宇宙の模型を考えたんだ!すなわち、太陽を中心として、水星と金星の間には正八面体、金星と地球の間には正二十面体、地球と火星の間には正十二面体、火星と木星の間には正四面体、木星と土星の間には正六面体をそれぞれ当てはめて、内接球と外接球を入れていくと、各惑星軌道の大きさの比率になると説いたんだ!もちろん、このケプラーの宇宙モデルは正しくないけど、ここから試行錯誤を重ねて、ケプラーは有名な法則を導き出すんだよ!

ケプラーは、ブラーエの死によってブラーエが実施してきた天体観測の資料を引き継ぎました。そして、ケプラーは、火星の軌道について真円では説明できないところがあるため、その研究を続けていきました。その結果、1605年、火星の軌道が楕円であることを発見しました。これがケプラーの第1法則にあたる楕円軌道の法則の発見でした。すなわち、惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道を描いていると提唱しました。「太陽を焦点とする」とは、太陽は、楕円の中心から少しずれた位置(焦点)にあることを意味します。さらに、ケプラーは、第2法則にあたる面積速度一定の法則も発見しました。

すなわち、惑星と太陽を結ぶ線が一定時間に描く扇形の面積は、楕円軌道上のどこでも等しくなるというものです。そのため、同じ時間では、太陽から近い軌道では惑星の移動距離(弧)が長くなる一方、遠い軌道では惑星の移動距離(弧)は短くなります。つまり、近い軌道では惑星の移動速度は速くなる一方で、遠い軌道では惑星の移動速度は遅くなることを意味します。そして、1609年、ケプラーはこれらの成果を「新天文学」という著書にまとめて発表しました。その後も研究を続けていたケプラーは、1618年、調和の法則と呼ばれる第3法則を発見しました。

ケプラーの3法則

これは、惑星の公転周期(惑星が太陽を1周するときにかかる時間)の2乗は、軌道長半径(楕円の中で最も長い直径の軸(長軸)の半分の長さ)の3乗に比例するというものです。すなわち、太陽に近い惑星ほど楕円軌道上の移動速度は速くなります。言い換えれば、惑星は太陽から離れるほど楕円軌道上の移動速度が遅くなります。1619年、ケプラーはこの法則を「世界の調和」という著書で発表しました。このようにして、ケプラーは3つの法則によって地動説を証明しました。そして、太陽が惑星を動かしていると考えました。その理由はニュートンによって解明されることになります。1630年、ケプラーは59歳で亡くなりました。

アイザック・ニュートンの地動説

数学者、物理学者で近代科学の父と呼ばれたアイザック・ニュートン(1642年~1727年)は、1642年、イングランド東部のリンカーシャー地方のウールスソープで生まれました。そのとき、父は戦死していました。ニュートンはグラマー・スクール(中等教育機関)を卒業してから、1661年にケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジに入学しました。そこでは、大学で働きながら、数学を熱心に学ぶとともに、革新的な天文学者であったコペルニクス、ガリレオ、ケプラーに強い関心を持ち、彼らの著書を好んで読みました。

1665年、ニュートンは大学を卒業しました。ロンドンでは黒死病(ペスト)が蔓延したため、大学は閉鎖されてしまいました。ニュートンは、故郷に帰って農場を手伝いながら、数学や物理の研究を熱心に行いました。その結果、天才的な発想で、万有引力の発見や流率と流量の概念を用いた微分積分法の創始などの成果を上げました。1667年、ニュートンはケンブリッジ大学の教員になりました。1668年には反射望遠鏡を製作しました。また、マスター・オブ・アーツ(文系の修士号)を取得しました。

アイザック・ニュートン

1669年、ニュートンは、26歳の若さでケンブリッジ大学の高名なルーカス教授職(数学関連の教授職)に就任しました。1672年、ニュートンは王立協会の会員に選出されました。1687年、ニュートンは天文学者エドモンド・ハレーの勧めで「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」という著書を発表しました。その中で、ニュートンは自然現象を数学的に証明しました。すなわち、本書は、第1編「運動の3法則」、第2編「抵抗のある媒質(空気や水)中における運動」、第3編「万有引力の法則」から構成されていました。運動の3法則とは、慣性の法則、運動の法則、作用と反作用のことです。

運動の3法則について解説するね!第1法則とは、外から力が働かない限り、静止している物体はいつまでも静止を続け、運動している物体はいつまでも等速直線運動を続けるということだよ!これが慣性の法則だよ!第2法則は次のとおり!外から物体に力が働くと、力の向きに加速度が生じるんだ!その加速度の大きさは力の大きさに比例するんだ!そして、物体の質量に反比例するんだよ!これが運動の法則だよ!第3法則とは、物体Aから物体Bに力が働くとき、物体Bは物体Aに力を及ぼすけど、この2つの力は、同一線上にあって向きは反対で大きさは等しいということだよ!これが作用と反作用だよ!

万有引力の法則とは、地上の物体が地球に引き寄せられているように、宇宙においても物体(天体)はお互いに引き寄せる作用を及ぼし合っているということです。すなわち、ニュートンは、地上の物体運動と宇宙の惑星運動は一定の法則(万有引力の法則)に従っていることを数学的に証明しました。これによって、地球が太陽の周りを公転するのは、太陽の引力と地球の慣性運動との釣り合いによることが明確に示されました。ちなみに、ニュートンによる運動の法則と万有引力の法則の発見は、ケプラーの3つの法則に基づいていました。

ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見したとよく言われるけど、これは作り話なんだ!当時、地上の物体が地球に引き寄せられていることは分かっていたんだよ!それはさておき、ニュートンがすごいのは、万有引力などが、潮の満ち引きや惑星の公転運動などの自然現象を引き起こしていることを発見して数学的に証明したことだよ!ニュートンは、ねくらで怒りっぽく性格に難があったけど、歴史上の天才だったんだ!

このように、ニュートンによって地動説が揺るぎない真実であることが最終的に証明されました。1689年、ニュートンはケンブリッジ大学選出の国会議員を2期務めました。1699年、王立造幣局の所長に任命されました。1703年、王立協会の会長に選出されました。1705年にはアン女王からナイトの爵位を授与されて、サー・アイザック・ニュートンと称しました。1727年、ニュートンは85歳で亡くなりました。そして、国葬によってウェストミンスター寺院に埋葬されました。

地球は回っているという【地動説】の歴史についてわかりやすく解説(第2部)!
地動説の歴史について3部に分けて解説します。第2部では、ジョルダーノ・ブルーノとガリレオ・ガリレイの地動説について解説します。ガリレオは、宗教裁判の判決に従い、地動説を放棄する誓約文を読み上げましたが、最後に「それでも、地球は回っている」と呟いたそうです。
地球は回っているという【地動説】の歴史についてわかりやすく解説(第1部)!
地動説の歴史について3部に分けて解説します。第1部では天動説と地動説の歴史とニコラウス・コペルニクスの地動説について解説します。ギリシアの哲学者アリストテレスは、「万学の祖」と呼ばれ、多くの学問の基礎を築きましたが、宇宙の中心は地球であると考えていました。
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