ローマ帝国の初代皇帝【アウグストゥス】についてわかりやすく解説(後編)!

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ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスについて前編と後編に分けて解説します。前編では「オクタウィウス(アウグストゥス)の生い立ち」「第2回三頭政治による支配」「第2回三頭政治の崩壊」について解説します。後編では「アントニウスとの決戦」「初代皇帝への道」「アウグストゥスの後継者」について解説します。

アントニウスとの決戦

BC31年、オクタウィアヌスは、元老院がエジプト(プトレマイオス朝)に対して宣戦布告したことを受けて、ローマ軍を率いてエジプトとの戦いに向けて出陣しました。これに対して、アントニウス軍とクレオパトラ軍の連合軍はオクタウィアヌスのローマ軍を上回る大軍でした。しかし、アントニウスが率いる将兵は、元々ローマ兵であったため、ローマの反逆者になることを恐れて脱走する者も次々に現れました。アントニウスは、クレオパトラの要請を受け入れて、オクタウィアヌスとの決戦に際して海戦を選択しました。そして、アントニウスは、自らの勢力圏にあったギリシア(本土)西岸のアクティウムに陸上と海上から軍を集結させました。

アグリッパ

アントニウスは軍船を率いてアクティウム岬の沖に布陣しました。そして、クレオパトラのエジプト軍もアクティウムに集結しました。一方、ローマ側では、オクタウィアヌスの腹心で軍事の才能に秀でたアグリッパが軍船を率いていました。アクティウム岬の沖では、連合軍の軍船は陸側の海上に集結しました。これに対して、アグリッパが指揮するオクタウィアヌス軍は、それを封じ込めるような陣形で海側に軍船を配置しました。重装備の大型船を用いる連合軍に対して、オクタウィアヌス軍は軽装備の小型船で対抗しました。両軍の決戦の火蓋が切られました。

大型船は、小型船やそこに乗り込んでいる兵士に損害を与えるため、投石機を使って小型船に向けて石を投げ込みました。これに対して、小型船は、機動力を活かして飛んでくる石を避けながら、大型船に接近して火矢を射りました。両軍が、互角の戦いを続けながらも膠着状態になったとき、突然、クレオパトラは、その率いる軍船を伴い戦場を離脱しました。そして、アレクサンドリアに戻ってしまいました。アントニウスは、戦場を逃げ出すクレオパトラを見たとき、指揮官としての立場を忘れてクレオパトラを追いかけました。指揮官に見捨てられた将兵は戦意を失って混乱しました。そして、エジプト側は、陸上軍を含めてオクタウィアヌス軍に敗北したり、降伏したりしました。

オクタウィアヌスは軍団を率いてアレクサンドリアに向かいました。BC30年、アレクサンドリアでは、オクタウィアヌスの軍団に包囲されたアントニウスが敗北を察して自刃しました。クレオパトラは、オクタウィアヌスに捕らえられましたが、生き恥をさらすのを嫌って自殺しました。また、カエサルとクレオパトラの間に生まれたカエサリオンは、プトレマイオス15世としてエジプトの王位を継いでいましたが、処刑されました。これにより、エジプトのプトレマイオス朝は滅び、エジプトの領土はローマに併合されました。その結果、ローマの領土は、地中海を取り囲む大帝国へと拡大していきました。

初代皇帝への道

BC29年、オクタウィアヌスは、宿敵アントニウスを倒すとともに、ローマの敵国エジプトを滅ぼして、ローマに凱旋しました。これにより、オクタウィアヌスは、パックスロマーナ(ローマ帝国による地中海世界の平和)を築いた英雄となりました。しかし、オクタウィアヌスは、権力を掌握するため、カエサルのように独裁官にはなりませんでした。代わりに、元老院から与えられた「プリンケプス(市民の第一人者)」という尊称を名乗りました。すなわち、元老院と共和政を尊重する姿勢を見せました。この称号は元首という意味でした。そして、オクタウィアヌスは元首としての政治(プリンキパトゥス)を行うことを宣言しました。 

BC27年、オクタウィアヌスは、BC31年から継続して就任していた執政官の職を辞するとともに、属州総監としての全ての権限(命令権: インペリウム)を返上することを元老院に伝えました。属州総監の命令権とは、執政官代理(プロコンスル)命令権と呼ばれ、執政官を経験した者が属州を統治するために与えられる権限で、属州に駐屯する軍団の指揮権も含みました。ちなみに、インぺリウムを持つ者をインペラトル(imperator: ラテン語)と呼びましたが、凱旋する将軍や最高司令官のこともインペラトルと呼びました。そして、インペラトルは英語のエンペラー(emperor: 皇帝)の語源となりました。

オクタウィアヌス

こうして、オクタウィアヌスは、暗殺されたカエサルと同じ轍を踏まないように、その本音を隠して独裁体制を目指す意志がないことを元老院に示しました。つまり、共和政支持者である振りをしました。一方、元老院は、国家の英雄となったオクタウィアヌスが国政にとどまることを要請しました。その結果、オクタウィアヌスは、執政官と重要な属州の総監の職に就くことを承諾しました。これはオクタウィアヌスの思惑通りでした。また、元老院は、その功績と共和政を尊重する振る舞いを讃えて、オクタウィアヌスに「アウグストゥス(尊厳なる者)」という称号を授与しました。その後、オクタウィアヌスは、インペラトル・カエサル・アウグストゥスと称しました。

August(8月)という名称はAugustus(アウグストゥス)に由来しているんだ!すなわち、BC45年、ユリウス・カエサル(Julius・Caesar、英語名: ジュリアス・シーザー)は、1年を通常365日として、4年に1回をうるう年(366日)とする太陽暦を導入したんだ!そして、これをユリウス暦として制定したんだよ!そのとき、7月の名称(Quintilis: 1年の始まりが3月であったため、5番目の月という意味)を自らの家門名ユリウス(Julius)に変更したんだ。

これがJulyの由来だよ!また、1年の各月は、大の月(31日)と小の月(30日)を交互に置きながら、最後の月の2月を29日にして365日にしたんだよ!BC27年、オクタウィアヌスは、「Augustus(アウグストゥス)」の名称を与えられると、8月の名称(Sextilis: 6番目の月)をAugustusに変更したんだ!そして、これがAugustの由来になったんだよ!さらに、カエサルに倣って8月を大の月(31日)に変更したため、2月を28日に変更したと言われているんだ!

このとき、アウグストゥスは実質的に皇帝の地位を確立したと言われています。アウグストゥスは35歳でした。アウグストゥスは、全ての属州を支配下に置かず、秩序が安定して統治が容易な属州を元老院に任せました。つまり、元老院議員に属州総監になれるという花道を残しました。そして、アウグストゥス自身は、ガリア、ヒスパニア、シリアなどの秩序が安定せず、外敵からも守る必要がある遠隔地の属州を担当しました。しかし、その属州は広範囲で拡大できる可能性がありました。そのため、それらの属州を統治する代理を選任する権限も獲得しました。また、ローマ軍団の大半は、ローマの勢力圏を防衛するため、アウグストゥスが統治する属州に配置されていました。

すなわち、アウグストゥスは、実質的にローマ軍団の大半を指揮できる最高司令官の地位も獲得しました。そして、元老院が管轄する属州を元老院属州、アウグストゥスが統治する属州を皇帝属州と呼びました。BC23年、アウグストゥスは、39歳でしたが、大病の回復を機に煩わしい職務から離れるため、BC27年から継続して就任してきた執政官の職を退きました。そして、代わりに護民官に就任しました。護民官の任期は1年で、貴族や地位の高い官職の横暴から平民を守るために設けられた職でした。そのため、護民官は、元老院や執政官などの決定を拒否することができました。

また、平民を代表して法案を提出することもできました。護民官の地位は神聖不可侵であったため、護民官を攻撃することは重罪とされました。これにより、アウグストゥスは、ローマ本国を代表する最高権力者(執政官)ではなくなりましたが、その権力の行使を拒否でき、かつ誰にも侵されることがない地位に就くことにもなりました。さらに、アウグストゥスには、元老院属州の総監が違法行為を行ったとき、それを取り締まるため、属州総監命令権(執行官代理命令権)を超える上級命令権も認められました。これにより、アウグストゥスは、元老院属州を含む全ての属州を統制できる権限を実質的に獲得しました。

アウグストゥス

それはまた、実質的にローマ全軍を掌握する最高司令官の権限を得ることにもなりました。そして、ローマ軍は再編されて、28個軍団の常備軍が新たに編成されました。その後、アウグストゥスは、元老院から執政官の就任を要請されましたが、受けずにいました。BC19年、アウグストゥスに終身の執政官命令権が与えられました。その結果、執政官に就任せずに、その権限を生涯に渡って行使することができるようになりました。すなわち、アウグストゥスは、ローマ本国を統治してきた執政官命令権、全ての属州総監(執政官代理)命令権を超える上級命令権、護民官権限という3種類の最高の権力を一手に担う支配者になりました。

そして、アウグストゥスは、その権力を自らの後継者に引き継いで、独占していく体制を構築していきました。つまり、ローマの最高権力を独占することができたアウグストゥスは、広大な支配地域を統治する自らの絶対的な地位を世襲制としました。このとき、43歳でした。BC13年、カエサルも就いた宗教的な名誉職であった最高神祇官の地位が、レピドゥス(第2回三頭政治の1人)の死によって空いたため、アウグストゥスが引き継ぎました。BC1年、アウグストゥスは「国父」の称号を贈られました。すなわち、アウグストゥスは、地中海を取り囲む地域に西ヨーロッパ、西アジアを加えた大帝国を支配する皇帝となりました。

アウグストゥスの後継者

アウグストゥスには、2番目の妻スクリボニアとの間に生まれた娘のユリアしかおらず、後を継ぐ男子はいませんでした。そのため、アウグストゥスの姉オクタウィアが、最初の夫との間で産んだ甥のマルケルスを後継ぎと考えて、ユリアと結婚させました。しかし、マルケルスはすぐに病死してしまいました。その後、アウグストゥスは、ユリアを自らの盟友かつ腹心であったアグリッパと結婚させました。そのとき、ユリアは18歳で、アグリッパは42歳で妻を離婚してユリアと結婚しました。BC20年、ユリアは長男を出産しました。そして、BC19年、長女が生まれ、BC17年、次男が生まれ、BC14年、次女が生まれ、BC12年には三男が生まれました。

しかし、この年、夫のアグリッパが51歳で亡くなりました。BC11年、ユリアは、アウグストゥスの3度目の妻リウィアの連れ子であったティベリウスと結婚させられました。そのため、ティベリウスは妻と離婚させられました。しかし、ティベリウスは、ユリアとの結婚生活がうまくいかず、ロードス島に隠棲してしまいました。一方、ユリアは、夫以外の者と不適切な関係を重ねるようになったため、父アウグストゥスが定めたユリウス姦通罪・婚外交渉罪法に基づき流罪となりました。その後、アウグストゥスが後継者と考えていたユリアの次男と長男が続けて亡くなりました。AD(紀元後)4年、アウグストゥスは、ティベリウスを隠棲先から呼び戻しました。

ティベリウス

そして、後継者に指名しました。その際、アウグストゥスは、ティベリウスの甥ゲルマ二クスをティベリウスの後継者に指名させました。ゲルマ二クスは、ティベリウスの弟ドルスス(アウグストゥスの3度目の妻リウィアの連れ子)とアントニアとの間に生まれた子でした。アントニアは、アウグストゥスの姉オクタウィアとアントニウス(第2回三頭政治の1人)との間に生まれた娘でした。つまり、ゲルマ二クスはアウグストゥスの血筋でした。また、アウグストゥスは、ユリアの三男アグリッパ・ポストゥムスを養子にしましたが、狂った振る舞いがあったため、流刑にしてしまいました。AD14年、アウグストゥスは76歳で亡くなりました。

そのとき、アグリッパ・ポストゥムスが流刑先で殺害されました。これは、アウグストゥスの妻リウィアが、自らの息子たちの血筋に皇帝の地位を引き継がせるために講じた謀略とも言われています。そして、第2代皇帝にはティベリウスが就任しました。ティベリウスは、甥のゲルマ二クスを養子として皇帝の地位を引き継がせるつもりでした。ゲルマ二クスは、名将として尊敬されていた人物でしたが、AD19年に病死しました。そのため、ティベリウスは、ゲルマ二クスの子であったカリギュラ(正式名: ガイウス・ユリウス・カエサル・ゲルマニクス)を後継者にしました。

カリギュラの母は、アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの間に生まれた次女の大アグリッピナで、ゲルマ二クスと結婚していました。AD37年、ティベリウスが亡くなると、カリギュラが第3代皇帝の地位に就きました。この皇帝は、精神病を患っていたとも言われ、恐怖政治を行ったり、残虐な振る舞いをしたりしました。また、浪費癖によって財政悪化を招き、過酷な税を課したため、市民の恨みを買いました。そして、最後は暗殺されました。その後、クラウディウス(第4代)、ネロ(第5代)と続きましたが、ネロは、暴君で悪名高い皇帝でした。そして、最後は自殺しました。ネロを最後に、アウグストゥスの血をひくユリウス=クラウディウス朝は断絶しました。

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