お茶の豆知識
お茶は私たち日本人にとってとても身近な飲み物です。食事やおやつのときにさっぱりとしたお茶を飲むと、満足感を高めることができます。お茶は、今ではペットボトルで気軽に飲むことができる一般的な飲み物ですが、昔は大変高級な飲み物でした。

昔から伝わるわらべ歌にはそんなお茶について歌っているフレーズがあります。私も、幼いころに軽く握った手と指を使って遊びながら、その歌を親から教わりました。幼い私には、歌詞の意味が分からないところもありましたが、ただ楽しいリズムと歌詞に乗って大きな声で歌って遊びました。
「ずいずいずっころばし ごまみそずい ちゃつぼにおわれて とっぴんしゃん ぬけたら どんどこしょ たわらのねずみがこめくってちゅう ちゅうちゅうちゅう おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも いきっこなーしよ いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ」

この歌詞の前半は、江戸時代に行われた「お茶壺道中(茶壺行列)」に出くわした村の童(わらべ)たちが、その時の様子を見て節を付けて歌にしたものと考えられています。後半は、「お茶壺道中」が過ぎ去って、日常生活が戻ったときの出来事を歌ったものと考えられます。そして、節に合わせた手の遊びも加えられて現在まで伝わって来ました。
「お茶壺道中」とは、徳川幕府に献上される京都の宇治茶を壺に入れて江戸まで運ぶ旅路のことです。当時、お茶は大変高級なものでした。それを江戸の将軍家まで運ぶ旅の行列は、徳川将軍の権威を示す盛大な行事として行われました。そのため、「お茶壺道中」は大名行列のように威厳を持って道々を練り歩きました。
この行列が通る沿道の村々では道の清掃を行い、その行列が通る際には、村人は農作業などをやめて静かに家にこもりました。出くわしたときは、道の端で土下座して行列が通り過ぎるのを待ちました。たとえ大名でもこの行列には道を譲ったそうです。すなわち、このわらべ歌の歌詞は次のように解釈されます。

「ズイズイズッコロバシ、胡麻味噌ズイ」は、意味はありませんが、茶壺行列(お茶壺道中)が迫ってくる臨場感を言葉遊びのように言葉のリズムで表現しています。「茶壺に追われて、戸っぴんしゃん」は、茶壺行列が迫ってくるので、急いで家に帰って戸をピシャリと閉めて、静かに家の中に留まっている様子を歌ってします。
「抜けたら、ドンドコショ」は、茶壺行列が通り過ぎれば、やれやれ無事終わったという嬉しい気持ちを言葉のリズム(ドンドコショ)で表現しています。「俵のネズミが米食ってチュウ、チュウチュウチュウ、オット(お父)さんが呼んでも、オッカ(お母)さんが呼んでも、行っきこなーしよ、井戸の周りでお茶碗欠いたのだーれ(誰)」は、茶壺行列が通り過ぎて日常生活が戻ってから、童の周辺で起きた出来事を断片的に歌詞として挿入したものと考えられます。
お茶の歴史
中国(唐)から日本にお茶がもたらされたのは、遣唐使(630年~894年)によるものと考えられています。当時唐から持ち帰ったお茶は蒸して固められた餅茶(へいちゃ)というものでした。餅茶の製法は次のとおりです。茶葉を摘んで蒸してから、臼でつきます。潰れた茶葉を固めて成形してから、日干しにします。それを火であぶって乾燥させます。飲むときは、餅のように固まった茶葉の塊を削って細かくしたものを煮出して飲みます。


平安時代初期の804年、最澄(さいちょう)が遣唐使として中国に渡り天台山で修行しました。帰国後、最澄は、比叡山に延暦寺を開き、天台宗を布教しました。そのとき、最澄は唐からお茶の種を持ち帰って比叡山のふもとに植えたそうです。また、日本後記という平安時代の歴史書には、815年4月に大僧都(だいそうず:僧の官職)の永忠が嵯峨天皇にお茶を煎じて奉ったという記述があります。
鎌倉時代に至り、1187年、栄西は中国(宋)に渡って臨済宗を学びました。1191年に栄西は帰国して臨済宗を伝えました。その際、栄西は、お茶の種と栽培方法などの知識も持ち帰り、それを寺院に伝えて広めていきました。このとき栄西が伝えたお茶は、当時宋で飲まれていた碾茶(てんちゃ: 抹茶の原料となる茶葉を使ったお茶)でした。
また、栄西は、宋から持ち帰った碾茶に関する知識を記録して「喫茶養生記」という書物を作成しました。1214年には改訂版が作成されて源実朝に献上されました。そして、それまでの餅茶に変わるお茶として碾茶が飲まれるようになりました。そのため、栄西は、日本においてお茶(抹茶)の文化を初めて伝えた人物として「茶祖」と呼ばれています。その後、鎌倉時代を通じて貴族や武士の間にお茶の文化が広まっていきました。

鎌倉時代の末期から室町時代にかけて、このお茶の文化はさらに発展していきました。そして、儀礼としてお茶会が開かれる一方で、闘茶(とうちゃ)という遊びが流行りました。闘茶はお茶を飲んでその産地を当てるという遊びでしたが、そこで賭博まで行われるようになったため、1336年、足利尊氏が闘茶を禁止しました。
その後、この遊びは、名称を伏せてお茶を飲み、そのお茶の種類や産地を当てる茶歌舞伎として現在まで続いています。室町時代の3代将軍足利義満は、宇治茶を好み、宇治に7つの茶園をつくらせました。それは宇治七茗園と呼ばれました。すなわち、宇文字園、川下園、祝園、森園、琵琶園、奥の山園、朝日園という茶園がありました。
室町時代の中期、僧侶の村田珠光(むらたじゅこう)は、茶の湯に禅の精神を取り入れて本質は同じという考え方に達しました。そして、当時、貴族の間で行われていた格式の高さや高級志向に偏る茶の湯に対して、村田珠光の茶の湯は、質素な茶室や茶道具を使ったものであったため、草庵の茶と言われました。その後、堺の商人の武野紹鷗(たけのじょうおう)は、草庵の茶を発展させて「侘び(わび)」の理念を打ち立てました。

すなわち、質素で控えめなものの中に価値を見出す精神を茶の湯に取り入れました。戦国時代に入ると、武野紹鴎から侘びの精神を学んだ千利休(せんのりきゅう)が、茶器、茶道具、茶室に対する考え方を含めて茶の湯の作法を新しく打ち立てました。すなわち、千利休は侘茶の茶道を完成させました。その後、千利休の茶道は、表千家、裏千家、武者小路千家の3つ流派に分かれて現在まで続いています。
1632年、3代将軍徳川家光のとき、宇治茶を幕府に献上することが毎年の行事となりました。茶壺が江戸から京都の宇治に運ばれ、そこで宇治茶が茶壺に詰められました。そして、その茶壺が江戸まで運ばれました。盛大な行列で行われたこの旅路を「お茶壺道中」と呼びました。
1738年、永谷宗円(ながたにそうえん)は「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」を編み出しました。青製煎茶製法とは、新芽の茶葉を摘み、それを蒸して、焙炉(ほいろ: 炭火の熱で茶葉を乾燥させる器具)の上で茶葉を手でかきあげたり、ふりおとしたり、ころがしたり、もんだりなどして徐々に乾燥させる製茶法です。

すなわち、永谷宗円は日本緑茶製法の基礎を築きました。宇治田原で茶農家を営んでいた永谷宗円が考案したこの製法は「宇治製法」とも呼ばれていました。その製法で作られたお茶は、従来のお茶よりも色、香り、味が優れていたので、全国に広まりました。このようにして、煎茶が庶民の間でも飲まれるようになりました。

近代に至り、幕末から明治にかけて日本のお茶の輸出が増えていきました。同時に、お茶の品種改良や製法の開発も進みました。現在では、お茶はペットボトルで気軽に飲めるようになり、色々な種類のお茶が売られています。また、和食の人気や健康志向が高まっているため、お茶の輸出は増加傾向にあります。
お茶(煎茶)の主な成分
緑茶には様々な種類がありますが、日頃、私たちが飲んでいる緑茶は不発酵茶です。不発酵茶とは、茶畑から摘んだ生の茶葉を蒸すなどの熱を加えることによって発酵を止めて製造した緑茶のことです。よく耳にする不発酵茶には、煎茶(せんちゃ)、玉露(ぎょくろ)、番茶(ばんちゃ)、抹茶(まっちゃ)、焙じ茶(ほうじちゃ)があります。
煎茶は茶葉を蒸してもみながら乾燥させたものです。玉露は、新芽が2、3枚ほど開き始めたら、日光を遮って育てた茶葉を使ったものです。番茶は成熟した茶葉を使ったものです。そのため、茶葉は大きくて硬くなります。抹茶は碾茶(抹茶の原料)を石臼で挽いたものです。

碾茶は、日光を遮って育てた茶葉を蒸して、もまずに乾燥させた茶葉で製造したものです。焙じ茶は煎茶や番茶などを強火で焙じて香ばしくしたものです。この中で、私たち日本人が日頃よく飲んでいるのが煎茶です。煎茶の主な成分にはカテキン(タンニン)、カフェイン、テアニン、ビタミンCがあります。
タンニンとは皮をなめす性質を持つ植物成分に与えられた名称です。タンニンは、煎茶などのお茶の渋みで湯吞みや急須にこびり付く汚れの原因と見なされています。つまり、タンニンにはあまり良いイメージはありません。
しかし、このお茶のタンニンは、ほとんどがカテキン類(ポリフェノールの一種)で、お茶の水溶性成分の中で最も多く含まれている栄養素です。一方、タンニンには、鉄分の吸収を阻害する作用がありますので、鉄欠乏性貧血の方はお茶をたくさん飲むことを控える方が良いと言われています。
カテキン(タンニン)の効能
生命の維持に欠かせない酸素は体内で一部が活性酸素になります。活性酸素が過剰に発生すると、細胞膜などの脂質を酸化させて過酸化脂質を次々につくり出します。過酸化脂質は、細胞を傷つけて、体の老化現象を起こしたり、成人病などを引き起こしたりする原因になります。
それに対しカテキンには、体内で発生する有害な活性酸素の働きを抑える効果があります。これを抗酸化作用と言います。これにより、過酸化脂質が過剰に増加するのを抑えるため、細胞が老化するのを防ぐとともに、動脈硬化による心筋梗塞や脳梗塞、がんなどの成人病を予防することが期待できます。

また、カテキンには、コレステロールの吸収や血糖値の上昇を抑えたり、細菌の増殖を抑えたり、口臭を予防したりする働きもあります。
カフェインの効能
カフェインには、脳などの中枢神経を刺激して興奮させる作用があるため、覚醒によって疲労を回復させたり、眠気を解消させたりする働きがあります。すなわち、集中力を高めるときには役に立ちます。また、カフェインには利尿作用もあります。
テアニンの効能
テアニンはアミノ酸の一種で旨みの成分です。テアニンを摂取するとα(アルファ)波が出現します。アルファ波とは脳がリラックスしている状態のときに多く出現する脳波の一種です。すなわち、これにより、緊張が緩和され、身体全体がリラックスするので、集中力も高まります。さらに、緊張が緩和されることによって、筋肉も弛緩するので、血管が拡張して血液の流れが良くなります。

その結果、冷え性などの血行障害による症状を改善する効果が期待できます。また、リラックス効果は、眠りの質を高めるため、睡眠中の疲労回復が進み、スッキリした目覚めを迎えることができます。また、テアニンは、高血圧を予防したり、月経前症候群の症状を緩和したりする効果も期待できます。
ビタミンCの効能
ビタミンCはコラーゲンの合成のために必要不可欠な栄養素です。コラーゲンは、体の細胞をつなぎ合わせたり、骨格をつなげたり、皮膚や内臓を支えたりして、体の構造をかたちづくっています。また、コラーゲンには、皮膚にハリや潤いを与えたり、骨、腱、筋肉を丈夫にしたり、血管に弾力を持たせたり、関節の動きを滑らかにしたりする働きがあります。

このように、コラーゲンは体の様々な組織において重要な働きをしています。さらに、ビタミンCには肌のシミやそばかすの原因となるメラニン色素の生成を抑える働きがあります。また、ビタミンCには強い抗酸化作用があります。抗酸化作用は、有害な活性酸素の働きを抑えて細胞の老化を防ぐため、動脈硬化による心筋梗塞や脳梗塞、がんなどの病気を予防する効果が期待できます。
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