【バイキング】ヨーロッパ各地で侵攻、支配、定住、同化した北欧の野蛮人!

当サイトは、アフィリエイト広告を利用しています。

歴史・文化・自然

バイキング

バイキングとは、北欧の人々の祖先で、現在のスカンジナビア3国であるデンマーク、ノルウェー、スウェーデンに定住していた北方系ゲルマン民族のことです。

そして、スカンジナビア半島に点在するフィヨルド(氷河の浸食によってつくられた狭い湾や入り江)のことをヴィーク(古い北欧語)と言います。そのヴィークの人々という意味で、ヴァイキング(バイキング)と呼ばれました。

バイキングは、後にノルマン人(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン地域の人々)やデーン人(デンマーク地域の人々)とも呼ばれ、農耕や牧畜を営み、狩猟や漁も行って暮らしていました。

8世紀に至り、北欧という寒さが厳しい地域で、人口が増加したことに伴って、食糧不足が生じてきました。その一方で、交易などによって造船技術や航海術が発達しました。そのため、バイキングと呼ばれた人々は、海上からヨーロッパ各地などへ向かい始めました。

その目的は、交易であったり、略奪であったり、植民や移住であったりしました。特に、現在のイギリス、アイルランド、フランスの沿岸地域などには頻繁に出現して、略奪などを繰り返しました。

8世紀から11世紀までをバイキング時代と言います。その間に、バイキングは、西ヨーロッパなどに侵攻して、その地域を支配していきました。やがて、彼らは、それぞれの地域で定住・同化していったため、バイキングの時代は終わりを告げました。

バイキングのイングランドへの侵攻

793年6月8日、船で乗り入れた野蛮人によって、イングランドのリンディスファーン島(英国中部の北海側に位置するノーサンバーランド州の小島)にある修道院が襲われ、徹底的に略奪・破壊されました。

これが、バイキングによる侵攻の始まりと言われています。さらに、バイキングは、ヘブリディーズ諸島(スコットランドの北大西洋側にある180以上の島々)やアイルランドを襲撃しました。

835年~850年頃、イングランドの北東部の沿岸では、バイキングによる襲撃が続くようになりました。やがて、彼らは、イングランドで野営地を設けて、越冬しながら、襲撃を繰り返すようになりました。

860年頃には、イングランドへの本格的な侵攻が始まりました。865年、「大異教軍」と呼ばれたバイキングの軍団が、イングランド南東部から上陸して、北上を開始しました。867年には、ヨークの町が奪われました。そして、バイキングはここに群落を築きました。

さらに、ヨークがあるノーザンブリア王国(スコットランド南東部からイングランド北東部にわたる地域)が、バイキングによって攻め落とされました。869年には、イーストアングリア王国(イングランド中部の東側に突き出た地域)が陥落しました。

870年、「大夏軍」と呼ばれた新たなバイキング軍団が、スカンジナビアから到来し、すでに侵攻していたバイキング軍団と一団になったため、その勢力は増強されました。

877年には、バイキング軍団によって、マーシア王国(イングランド中部地域)の半分以上が侵略され、アングロ・サクソン人の王国はほとんど陥落してしまいました。しかし、878年、ウェセックス王国(イングランド南西部地域)のアルフレッド大王は、エディントンの戦いでバイキング軍団に勝利しました。

やがて、バイキング軍団はウェセックス王国から撤退しました。また、その軍団の指導者グスルムはキリスト教に改宗しました。そして、アルフレッド大王とガスラムは条約を結び、イーストアングリアとその以北がバイキング側の支配地域となり、南部地域がウェセックス王国の支配地域となりました。

その後、ウェセックス王国は、バイキング側の支配地域を奪還したため、イングランド王国として統一されていきました。一方、イングランドに残ったバイキングは分散して同化していきました。

980年代から、バイキング(デーン人)の軍団が、イングランドへの襲撃を繰り返しました。これに対してイングランド王のエゼルレッド2世は、退去料を支払って、追い返しました。1002年には、エゼルレッド2世は、度重なる襲撃が終わらないため、イングランドに住むデーン人を虐殺してしまいました。

これに対し、デンマーク王のスヴェン1世は、復讐のため、イングランドへの侵攻を繰り返し行いました。1013年には、スヴェン1世がイングランドの王位を奪いました。そのため、エゼルレッド2世は、フランスのノルマンディー公国に亡命しました。

1014年、スヴェン1世が死去したため、スヴェン1世の息子であるクヌート1世がイングランド王を引き継ぎました。一方、イングランドではエゼルレッド2世が復位したため、クヌート1世は、大軍を率いてイングランドに度々侵攻しました。

1016年、今度は、エゼルレッド2世が死去したため、その息子であるエドマンド2世がイングランド王に即位しました。エドマンド2世は、クヌート1世の軍に対抗しましたが、数度の戦いの後、大敗してしまいました。その結果、イングランドは、クヌート1世とエドマンド2世によって分割統治されました。

間もなくして、エドマンド2世が亡くなったため、クヌート1世が、統合したイングランドの王になり、デーン人によるデーン朝を設立しました。その後、クヌート1世は、北海帝国というデンマーク王国、イングランド王国、ノルウェー王国の3国に君臨する大王になりました。

1066年、ノルウェー王のハーラル3世の軍がイングランド北部に侵攻しました。これに対して、イングランド王のハロルド2世(アングロ・サクソン人)の軍はノルウェー軍を破りました。しかし、ハロルド2世は、イングランド南部に侵攻したノルマンディー公ギョーム2世(ウィリアム1世)の軍との戦いで、戦死してしまいました。

その後、ウィリアム1世は、イングランドを征服して、イングランド王になり、ノルマン朝を開きました。そして、バイキングによるイングランドへの侵攻は、終わりを告げました。

バイキングの西フランク王国への侵攻

9世紀、バイキングがフランス北部の沿岸やセーヌ川の河口地域に上陸して、襲撃を繰り返していました。やがて、バイキングは、セーヌ川を遡って、パリにも近づいてきました。

911年、ロロ(Rollo)を首領とするノルマン人のバイキングが、シャルトル(パリから南西に約90km)を襲撃しました。西フランク王のシャルル3世は、これを敗退させましたが、今後も、バイキングが襲撃を繰り返してくるものと考え、ロロを懐柔する方策をとることにしました。

そして、ロロに対し、ノルマンディー地方の領土を与える代わりに、バイキングの侵攻を食い止めることを求めました。ロロはこの取引を受け入れて、キリスト教に改宗しました。さらに、ロロは、シャルル3世の娘である王女ジゼルと結婚して、ノルマンディー公爵の称号を受けました。

ノルマンディー公となったロロの子孫には、ノルマンディー公ギョーム2世(ウィリアム1世)がいるよ。先にも解説したように、ギョーム2世は、イングランドを征服して、ウィリアム1世としてイングランド王になったんだ!だから、現在のイギリス王室は、バイキングのロロの血を引いていることになるよ!

バイキングの北西への航海

860年頃、ノルウェーから北西に船出したフローキ・ビリガルズソンは、アイスランドに到達した最初のバイキングと言われています。その後、バイキングのインゴールヴル・アルナルソンが、最初にノルウェーからアイスランドに入植しました。そして、ノルウェーからの入植者は増えていきました。やがて、アイスランドはバイキングの植民地となりました。

980年頃、アイスランドを追放された赤毛のエイリークは、北大西洋を西に航海して、グリーンランドに到達した最初のバイキングでした。その後、バイキングによるグリーンランドへの入植が行われました。

また、1000年頃、赤毛のエイリークの息子であるレイフ・エリクソンがヴィンランド(カナダのニューファンドランド島という説が有力)を発見しました。1010年頃には、ソルフィン・ソルザルソンが、多くの人たちを率いて、ヴィンランドで入植地の建設を始めました。しかし、先住民と対立したため、短期間でその地を放棄してしまいました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました